嫌われる勇気を読み直したら全然感じ方が違った話
概要
少し前に流行った「嫌われる勇気」
二人の登場人物の対話を通してアドラー心理学の理解を深めていくという内容です。
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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最近ある研修プログラムを受けているんですが、
その内容を踏まえてこの本を読み直したら全然感じ方が違ったので気づきをまとめておきます。
ライフスタイル
ライフスタイルとは、現在の自分のあり方のこと。
そのライフスタイルは、過去の出来事自体ではなく出来事につけた意味によって決められる。
人は出来事に対して無意識的に何らかの意味を付けていて、その中で生きている。
自分の場合だと、上司から「あの仕事どうなってる?」と聞かれたときに、「今日中にやります!」と答えたことが思い浮かんだ。
上司はあくまで現在の状況を確認したのに、自分はそれを「まだあの仕事終わってないの?」と聞かれたと勝手に解釈して、その自分の解釈に対して返答してた。
こうした意味づけを普段から無意識的におこなっていると考えると、たしかに意味づけが自分のライフスタイルを決めているのだなと。
意味づけという主観的な解釈が自分のライフスタイルを決めているのであれば、その解釈を変えることでライフスタイルを自分で変えられるということが非常に重要。
優越性の追求と劣等感
理想に近づきたいと願う「優越性の追求」、理想に至らず劣っていると感じる「劣等感」。
どちらも健康で正常な努力と成長への刺激であるとアドラーは定義してる。
ただ劣等感を言い訳に使うと劣等コンプレックスになって、〇〇さえなければ自分は有能だというのを盾に変わらない自分を正当化しようとしてしまう。
一方で健全な劣等感というのは他社との比較ではなく理想の自分の比較から生まれるもの。
人と自分を比較して劣等感を持ちがちな自分にとってこの言葉は刺さった。昨日の自分より今日の自分が進歩しているかを考えるようにしようと思った。
人との比較をしている限り競争が続いてしまう。他者の幸福を自分の負けと捉えてはいけない。
課題の分離
自分がコントロールできない部分をコントロールしようとしても意味がない的な話。
自分の課題は自分の信じる道を進むことで、それをどう思うかは他者の課題。それをどうこうすることはできないから、考えても仕方がない。
他者にどう思われるかを気にしていると、他者の期待を満たすための人生になってしまう。逆に、他者が自分の期待を満たすために生きていると勘違いしてはいけない。
見返りを求めない。ただ与え続けるのみ。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない」
これは他者の課題だから、って割り切れるとなかなか気が楽になる。
「わたし」への関心
他者からどう見られるかばかりを気にしているのは「わたし」中心のライフスタイル。自己中心的。
私は世界の中心ではなく、あくまで一部であること。
周囲に何を与えてもらえるかではなく、周囲から何を与えられるかを考える。
takerではなくgiverでありたい。
勇気
何かに踏みとどまっているのは能力ではなく勇気の問題。
人を勇気づけるには、ほめることではなく感謝を伝える。ほめるというのは相手を下に見ている行為。
ありのままの自分を受け入れつつ、変えられるものは変えていく。自己受容により肯定感、勇気が得られる。
普通であること=無能ではない。
いま、ここを生きる
過去がどうかは今ここには関係ない。
将来がどうであるかは今ここで考えてもしょうがない。
いま、ここを真剣に生きる。いまとダンスする。